「命は一代、楽譜は万代まで」
遠い昔、一人の音楽家が琉球の神女ノロ達が謡う祈りの唄クェーナを記録したいと試みた。しかし「男子禁制」を理由に門前払いを喰らう。諦めきれない音楽家はノロの集会場の床下に潜り込み、ろうそくに火を灯し一晩中頭上で繰り広げられるクェーナの旋律を自身の音感のみを頼りに採譜した。そしてそれを五線譜に記録し後世に伝えた・・・。
琉球音楽研究家・山内盛彬とクェーナに関する逸話である。琉球古典の伝承に生涯をかけた盛彬の尋常ならざる情熱を如実に表わしている。「男子禁制」「門外不出」とされたクェーナはその神聖さ故に公に伝わることも無く、琉球処分という時代の渦の中で消滅しようとしていた。それを若き音楽家は見過ごすことができなかった。同様、王府おもろや湛水流、幻の宮廷音楽といわれる御座楽・路次楽も盛彬が自身の使命とし記録採譜したからこそ今日の我々に伝わっている。
西洋音楽を出自としながら、どんな時も故郷沖縄の音楽を忘れなかった。「命は一代、楽譜は万代まで」と妻ツル媼とともに若い頃より世界を飛び回り、あらゆる民族音楽を吸収し沖縄に戻ってきた頃には齢80を過ぎていた。
沖縄本島のちょうど真ん中辺り、かつて「コザ市」と呼ばれ現在は「沖縄市」となった地に一つの歌碑がある。刻まれた歌は「ひやみかち節」。盛彬翁によって1948(昭和23)年に作曲されたこの島唄は、沖縄戦で焦土と化した沖縄の人々と鼓舞し励まし続けた。長い音楽旅行を終えた夫妻が身を寄せたコザ市の老人ホームには盛彬を慕って沢山の音楽家が訪れたという。当時の職員に盛彬はよく「施設でピアノを買いなさい。ここを音楽の殿堂にしよう」と話していたという。残念ながらピアノの購入は叶わなかったが、音楽への情熱が覚めることのない盛彬はよく近隣のピアノがある家庭に赴き音楽活動を続けた。当時の職員が後に「あの時ピアノを購入していればもう100や200の名曲が誕生していたかも」と言ったのも大げさではない気がする。「ひやみかち節」の歌碑はその老人ホーム・緑樹苑の中庭に盛彬の生誕120年を記念して平成23年に建立された。歌詞とともに五線譜で刻まれた旋律が「命は一代、楽譜は万代まで」のその言葉通りに今日も残然と沖縄の空に響き渡る。
山内盛彬伝承楽曲保存会
事務局長
キンジョウカズロウ
![ダンジュ嘉例吉かりゆし:五線譜](https://kuena.ryukyu/wp-content/themes/kuena/images/about_imga2.png)
![ダンジュ嘉例吉かりゆし:歌詞](https://kuena.ryukyu/wp-content/themes/kuena/images/about_imga3.png)
歌唱:見里春 採譜:山岸磨夫